認知症介護で最優先すべきは患者ではなく介護者である

母の言動が本格的におかしくなってからそろそろ2年が経ちます。

あの頃は介護するこちら側も肉体的、精神的にもかなり追い詰められて本当に大変でした。でもその経験を「大変だった」の一言で終わらせてしまうのも何となくもったいなく感じています。

そこで当時どんなことがあったかなど、ここで残してみようと思った次第です。

ちなみに今はホームに入り、また処方してもらった薬がよく効いていることもあり状況は大分落ち着いています。

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認知症の症状といえば

認知症と言われて思いつく症状としてよく言われるものの一つとして、物盗られ妄想というものがあります。僕の母も例に漏れずこの症状がありました。

母の物理的なパーソナルスペースとして寝室がありました。ここにあらゆる物を隠すようになりました。寝室の中でも特に、布団の中や枕の下に隠すことが多くありました。

隠したものの例を挙げると、財布や化粧品、ドライヤーのような日常的に使うものから、缶詰、食パン、炊いたご飯なども隠されました。

炊いたご飯をどうやって隠すのかと思うかもしれませんが、自分で2合ぐらい炊いたものを皿に盛ってからラップを掛け、それを枕の下に隠していました。

枕と母の頭の重みで軽く潰されたそれを見つけたときにはげんなりしましたが、それでも食べ物なので勿体なくて捨てるに捨てられず、嫌々ながらも食べましたよ。こんなものを妻に食べさせるわけにもいかないので一人で食べました。

本人が隠したこと自体は忘れてしまい、しかし隠した物についての記憶が残っている場合、他人が盗んだという発想になるようです。少しでも正常な判断力があれば「自分が失くしたのかも」と思えますが、それができないというのも症状なんだろうと思います。

ご飯なんかは物から隠した行為まできれいさっぱり忘れてしまうのでまだいいですが、財布やドライヤーなど昔から使っていたものについては行為は忘れても物自体のことは覚えているので、そういう物を失くされた場合は厄介です。

話は変わって自分自身の性格について

僕はミニマリストではないものの、あまり物を多く持たずに生活をシンプルにしたいと思って生きています。

そんな感じなので、自分自身の持ち物を紛失して探しものをするようなことはまずありません。あったとしても、ちょっと前の行動を振り返るなどしてすぐに見つけ出します。探しものなどものに振り回されるのが嫌で持ち物はシンプルにしているというのもあります。

余談ですが、妻は服だの装飾品だのと何でも大量に持つタイプで、家のあらゆるところに妻のものが散乱しています。そしてよく「○○知らない?」と聞かれます。台所の調味料などは把握しているので聞かれたら台所を全く見ることなく「どこそこにあるんじゃない?」と答えられますが、妻個人の持ち物については聞かれても「知らんがなw」としか言えません。

こういう性格なもので、他人が紛失したものを探させられるというのは自分にとってかなりイライラします。しかも失くした本人は申し訳無さそうにするでもなく、泥棒が盗ったなどとのたまうわけで。しかもこれが毎日のように繰り返されるわけです。ますますイライラが募ります。

言わば、他人がやった失敗の尻拭いをさせられているのが介護者です。これ、本当に精神をすり減らします。今現在は大分症状が落ち着いてきたとは言え、2年近くの長きに渡り介護業務を続けてくれているホームのスタッフさん達には頭が下がる思いです。

認知症の人相手に怒ってはいけない・・・なんてことはない

健常者である自分には想像することしかできませんが、確かに本人は苦しいんだろうと思います。しかし介護している側の人間も苦しいんです。だから、認知症患者の苦しみを介護者がすべて受け入れなければならないということは決してないと思います。

介護とは大体が年単位での長期戦になります。そして認知症患者よりも先に介護者が限界を迎えるような事も十分に考えられます。もしそうなってしまえば、その後は共倒れしかありません。

介護をするには、まず介護者が心身ともに健康でなければならない。最優先すべきは認知症の患者ではなくて介護者の心身の健康です。それがなければ介護が成り立たないので。

くれぐれも、認知症患者を優先して介護者である自分自身が倒れることのないように。これが、今現在介護で苦しんでいる方々への、介護を経験してきた自分からの願いです。(これについても自分の経験から話せることがあるので、また別のエントリにまとめようと思います)

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