「日本のいちばん長い日」の視聴ガイド的なもの

前から見たいと思っていた「日本のいちばん長い日」のDVDがレンタル開始されたので、早速借りてきて見ました。
初めは、その感想のようなものを書こうかと思っていました。
しかしそれよりは、こういうのを知っておいてから見ると楽しめるよというのをまとめてみようと思いました。
僕もこのあたりの歴史は今勉強中であまり上手く説明できないかもしれませんが、書いてみます。

日本軍の組織の話

このあたりの名前が分かりにくいところがあると思います。
まずはそこからまとめてみます。

公式サイトとWikipedia等を参考にして、映画に登場する人だけについてですが図を作ってみました。
ちなみにこれは終戦時点のものであって、それ以外の時期だと人事異動等で違う人が入っています。
structure1

特に分かりにくいのが、参謀本部と軍令部だと思います。
この2つはそれぞれ陸軍と海軍の軍師的な立ち位置ですが、なぜか陸軍と海軍で名前が変わっています。
ちなみにこの2つをまとめたものがニアリーイコールで大本営といいます。

陸軍と海軍それぞれの一番トップにあるのが、大元帥である昭和天皇です。
以下、将官(大将、中将、少将)、佐官(大佐、中佐、少佐)、尉官(大尉、中尉、少尉)と続きます。

近衛師団以下が、現場部隊です。
近衛師団が天皇と皇居の警護に当たる部隊で、東部軍管区が関東甲信越地方の部隊です。
僕がこの時代の話について全く分かってなかった頃は、関東軍というのが関東地方の担当部隊だと思っていましたがこれは誤りで、関東軍とは朝鮮半島から北側にあった満州国の担当部署というのが正しいです。

宮城事件首謀者というのは組織とは違うので破線で括っています。
この宮城事件が映画でのメインのストーリーになります。

あと東條英機の名前もよく知られていると思うので図に入れていますが、この時はマリアナ諸島での敗戦による求心力の低下から総理を辞任した後で、発言力はほぼなくなっていたようです。
ちなみに、マリアナ諸島をアメリカに取られてしまったがためにアメリカの爆撃機が日本本土まで届くようになってしまい、以降本土が度々空襲を受けることになります。

宮中、政府関係の話

structure2

まず宮中について、映画公式サイトの人物相関図には「皇室」と書いてありましたが、皇室というのは天皇および皇族の事で、その他の内大臣府や枢密院などまで含めると皇室とは違うんじゃないかと思ったので、僕は宮中と表現しています。
宮中というと宮殿の中のことを指したり皇居のことを指したりいろいろあるようなので、これが正しいのかどうかも自信ありません。

内大臣府と枢密院というのが、今は存在しないので分かりにくいかもしれません。
という僕もよく分かっていないのですが(笑)。
内大臣府というのが皇室に関わる事務的な作業を担当する部署で、敗戦によって廃止されました。
枢密院とは天皇の諮問機関とありましたが、例えば天皇から憲法や法律に基づいて「こういう場合はどうしたらいいの?」みたいな相談があった時に、それについて審議する部署のようでした。(この説明が正しいのかどうか自信ありません)

内閣については特に説明がなくても分かりそうですが一つだけ、書記官長というのは今で言うところの官房長官の事です。

後は組織ではありませんが、右下に会議のメンバーをまとめておきました。
最高戦争指導会議というのが、元は大本営政府連絡会議と呼ばれていたもので、その名の通り大本営と政府間で情報をやり取りして軍の行末をどうしようと決めた会議のようです。

あとポツダム宣言受諾可否の御前会議は、これに枢密院議長が加わった7名で話し合ったようで
ソ連に宣戦布告された後はさすがにポツダム宣言受諾拒否という意見は出なかったようですが、国体護持のために天皇の統治権が変わらない事のみを確認してポツダム宣言を受諾すべきという意見と、それを確実にするために自主的武装解除などの条件が認められない場合は玉砕だという意見に分かれていました。
ここで、鈴木貫太郎と木戸幸一が意見がちょうど3対3になるような人選をして、最後は鈴木首相が「自分の意見1つで国の行末を決めるなんてとてもじゃないけど責任が重すぎる」というので、全く前例がなかったのですが天皇に御聖断を仰ぐという事になり、ポツダム宣言の受諾が決定されます。

時代背景について

自分が知っている範囲で、非常にコンパクトにまとめてみます。

昭和12年(1937年)、支那地方での日本軍と中華民国国民党軍との小競り合い(盧溝橋事件)から支那事変に拡大します。
ところが国民党軍はなかなか粘り強くて、どれだけ叩いてもなかなか音を上げませんでした。
この時、支那地方での戦線は縮小してソ連への対処を考えるべきだという意見と、国民党軍をしっかり叩きのめしてから和平すべきで、米英が国民党に南方からせっせと武器を渡しているらしいから南方に進行すべきという意見が出てきます。

結局は軍と政府の中で南進論者が優勢になり、南に軍を進めることになります。
これでもしソ連が攻めてきたらどうするんだよという意見に対して、日本は昭和16年(1941年)4月にソ連に対して日ソ中立条約を締結します。
これでソ連が日本を攻めることはないから安心して南に行けるぞとなったのですが、ここが南進論者の見通しの甘かったところで、日本は後にソ連から裏切られることになります。

あとおまけに書いておくと、当時日本とドイツは同盟を結んでいましたが、何とドイツが日本に隠れて国民党軍にせっせと武器を渡して、しかも国民党に対して日本と戦争しろとけしかけていたようです。
日本はどれだけ周りの国に騙されているんだという話です。

話を戻して、この時昭和天皇は、もし南方に進軍することでアメリカが怒って経済制裁してきたらどうするんだとご心配になっていたようですが、すでに北進論者は排除されているので結局このように先を見通すことができたのは天皇陛下だけになっていたようです。
そうして「大丈夫っすよ」と言いながら日本がフランス領インドシナに軍を進めた時、昭和天皇のご心配通りアメリカが経済制裁をしてきました。
アメリカが日本に対して経済制裁するという事は、他の国が日本に対して貿易を続けるようなことがあればその国もアメリカに喧嘩を売ることになってしまうので、自ずと他の国もアメリカに倣います。
この時対日経済制裁をしたアメリカ(America)、イギリス(Britain)、中華民国(China)、オランダ(Dutch)の頭文字を取って、ABCD包囲網と言われています。

もうここからは戦争へ一直線です。
昭和天皇は何とか和平の道はないかと仰るのですが、もうどうしようもありませんでした。
そして昭和16年(1946年)11月、アメリカは日本にハル・ノートを突きつけてきます。
今でこそ戦争でこてんぱんにやられるという結果が分かっているから聞いておけばよかったと言えるのですが、当時はとてもじゃないけど日本が受け入れられるような内容ではありませんでした。

ちなみに、南進した時の総理大臣は近衛文麿でしたが、アメリカとの戦争が避けられないような状況になってしまった責任をとって内閣総辞職し、昭和16年(1941年)10月に東條内閣が誕生しています。
東條英機が戦争を始めた責任があるという意見がありますが、この時はすでに誰が総理大臣になったとしても戦争は避けられなかったと思います。

話は飛んで昭和20年(1945年)7月、アメリカ、イギリス、中華民国の3カ国は日本に対してポツダム宣言を発します。
実はこれ、ソ連の知らないところで勝手に発されてしまったのですが、このあたりからすでに米ソ冷戦は始まっていたと言われています。

内容はこれを聞いたら許してやるわというものですが、日本が飲めるようなものではなく、これに対して鈴木首相が「黙殺」と言ったのをアメリカの新聞社に「Reject(拒否)」と翻訳されてしまいます。
そして8月6日に広島に原爆投下、8日にはソ連が日ソ中立条約を破って対日宣戦布告、9日には長崎に原爆投下となります。

コンパクトに書くつもりが、かなり長くなってしまいました。
これでも相当削ったつもりです。

宮城事件について

これについても簡単に触れておきます。

ソ連が参戦したからにはもうどうしようもないという事になり、ポツダム宣言を受諾する事になるのですが、全員が「はいそうですか」とはならないわけです。
特に陸軍では、ポツダム宣言の受諾で国体の護持は保証できないから徹底抗戦するべきだという意見だったようです。

そして天皇陛下が14日の深夜に終戦の詔書をお読みになったものをレコードに録音して、それを15日の正午にラジオで放送することで日本人に戦争はやめようと呼びかけるのですが、このラジオ放送を阻止するためのクーデター未遂事件が起きます。
この時の様子や、それぞれの立場での気持ちなどが映画では描かれていました。

結局このクーデターは未遂に終わったのですが、この時少しでも成功するようなことがあったならば、今頃日本は東西ドイツや南北朝鮮半島やのように分断されていたかもしれません。
南樺太、千島列島だけでなく、北方領土までロシアに不当に奪われたわけですが、これがさらに北海道や東北、関東あたりまで来ていたかも知れないと思うとゾッとします。
そしてポツダム宣言受諾によって日本がアメリカの植民地にされていたかもしれないという事を考えると、今の日本がこのような状態で残っているのは奇跡的だと思えます。

もちろんクーデターを起こそうとした人たちの考えも、最終的な目標は国体の護持であったわけです。
今結果的に日本という国が残っているからこのクーデターは間違いであったと言えますが、当時はどうすべきだったかなんて判断できなかったと思います。

感想を少しだけ

日本国民は、自分の命に代えてでも天皇陛下を守ろうとしました。
そして天皇陛下は、自分の命に代えてでも国民を守ろうとしました。

天皇と国民がこれだけ強い絆で結ばれているような国は、日本以外にはないと思います。
ここに、日本に生まれてきたという喜びを感じるわけです。
自分が生を受けた国が日本だったというだけで、すでに宝くじにあたったような幸運だと思います。

一方、今の若者の一部が皇室の廃止を党是としているような政党と力を合わせて日本をダメにしようと頑張っているのを映画の中の人たちが見たら、果たしてどう思うだろうかと考えました。
まあこれについては、ここではあまり語らないことにします。

個人的には天皇陛下のお心をもっと見たいと思いましたが、この映画も十分面白かったです。
もし気になったら、ぜひ見てみてください。

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