努力と結果のどちらを重視するべきか

子供の頃は努力そのものが評価されるけど、大人になったら結果が全てという感じの話を聞いたことがあります。
これについて、最近考えることがありました。

なぜこの事を考えたか

というのは、今現在自分のやっていることについてです。
毎日の終わりに、今日は何をやってどうだったというのと、明日は何をしようかという目標を、100円ショップで買ってきた日記帳に付けるようにしています。

例えば、次の日の目標として「1時間の商品リサーチを行う」という目標を立てたとします。
これだけだと利益には全く繋がらないので、はっきり言って何の意味もありません。
仮にこれをこなしたとしても成功も失敗もなく、従って結果を受けてのフィードバックもありません。

ぼくがやりたいことは儲かる商品を見つけ出すことであって、さらに言うと仕入れから販売までを経てプラスになるというのが目指すところです。
なので過程を目標にするのではなくて、「○○円の差額がある商品を1つ見つける」などという感じで結果に直結するものを目標にするべきであると考えます。

商品リサーチが習慣化できていないという場合には、上に書いたような目標でもいいと思います。
ただこの場合は商品リサーチを習慣化するという結果を目指しての行動になるので、毎日「1時間の商品リサーチを行う」というのも過程ではなくて結果になるわけです。
ただこの場合は、商品リサーチ習慣化という目標が達成されたならば、速やかに目標をもう一段階上げるべきです。

子供の場合は努力を認めるべきか?

さて、そこでこの話です。

初めに結論から書いてしまうとぼくは努力を認めるべきだという考えですが、ただ努力をすればいいというだけではなく結果を得ることも重要だと教えるべきだと思っています。
というのも、何のための努力かと言うと、やっぱり成績を上げるなり志望校に合格するなりの結果を求めての事だと思うからです。

もしその努力が明後日の方向に行っていたのであれば、それは褒められるものではありません。
例えばセンター試験で何点取りたいという目標があって、子供が筋トレを頑張っていたとしたら、それを褒める親は恐らく1人もいないと思います。
AO入試等で筋トレが合格に役立つのであれば話は別ですが。

ではなぜ子供の努力を認めるべきと考えているかについてです。
それは、結果を得るには努力が必要になりますが、子供の場合は自ら目標に向けた強い意志を持っているというのは少ないと思います。
イチロー選手は子供の頃からプロ野球選手になるという強い意志を持っていたようですが、そういうのは例外だと思います。
なのでこの場合、大人が子供のお尻を叩いたり背中を押してあげたりする役を引き受けるのがいいと考えるからです。

ただ、過程を重視するあまり結果を疎かにするという考えのまま大人になって社会に出てしまうと、今までこれで褒められていたのに何で認めてくれないの?となってしまうと思います。
もちろん、ここから結果重視という考えに切り替えてさらに成長していく人もたくさんいると思います。
というか大体はみんな大人になったら、そうやって生きていくと思います。
子供のうちからそういう事を教えておけば、学生を卒業して社会に出た時にスムーズに馴染めるのではないかという考えです。

なので基本的には子供であっても結果が全てという考えですが、そのために必要な努力を褒めてあげるのがいいという感じです。

言いたいこと

話がとっ散らかってしまいましたが、ぼくが言いたいことは「目標を立てるにあたって、過程を目標にしていませんか?」という事です。
これは自戒も含んでいます、というか他人に偉そうに語れるような人間ではないので、完全に自分に向けてです。

自分自身、気づけば過程を目標にしてしまっている事が少なからずあります。
「1時間の商品リサーチを行う」という目標を立てた場合、商品リサーチを習慣化するという結果を得るためのものであればこの目標は妥当だろうし、利益を得るという結果を得るためのものであればこの目標は不適当です。

要は、最終的にどういう結果を得たいのかという事をはっきりさせるのが重要だと考えています。
自分は何を目指しているのか、そしてそこに至るにはどのように努力すればいいか、また今やっている努力は妥当かというのを常に確認しながら行動していこうと思った次第です。

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