自傷行為を理解すること

心に問題を抱える人を見守る側の人間にとって、自傷行為とは最も理解しがたいものの一つではないでしょうか。
先日そのようなことについて考える機会があったので、考えたことをちょっとだけ書いてみようと思います。

ぼくははっきりと自傷行為だと言えるものをやったことはないし、どちらかというと理解できない側の人間です。
自分の考えが全く正しいものだとは全然思っていないし、誤ったことをたくさん書くと思います。
自分がちゃんと理解できていないことを自分自身よく分かっているので、何か指摘いただけたら考えを変える準備もできています。

それでは、長くなりそうなのでページを分けて続きを書きます。


行為そのものを否定するということ。
これだけは間違った対応であるという確信をぼくは持っています。
「やったらダメ」と言う程度ならまだしも、「逃げるな」だとか「努力が足りない」などと言うことは相手をますます追いつめるだけです。
これを言うことができる人たちは、精神的にそこまで追いつめられた経験がないのでしょう。

もし精神的に追いつめられる気持ちを本気で理解したいと思うのであれば、フルマラソンを走ってみることをオススメします。
完走を目標として抑えながら走るのではなく、自分を追い込むことが目的なのでできるだけ自分の限界のスピードで走ってみてください。
5キロ10キロ走ってみただけで「もうだめ?」と言って立ち止まってはいけません。
どんなに苦しくても走り続けるのです。
そのうちに対向車線に車が走ってくるのが見えると「自分を轢き殺してくれ」と思うようになってきます・・・というのはぼくの経験ですが。
体力的にフラフラになりますが、精神的にもかなりきますよ。
そんな状態でもまだ無理矢理走らされながら「逃げるな」とか「努力が足りない」などと言われるのを想像してみてください。
自分は十分すぎるほどに頑張ってきたのに、それを周りから認めてもらえないのは辛いと思いますよ。
そして立ち止まって休むこともできないとなると、次は死にたいと思ってきますよ。
そんな状態になってもまだ自分は逃げずに頑張れると言えるでしょうか?

心に問題を抱える人たちは、フルマラソン以上の長距離を休むことも許されずに走らされ続けているようなものだと思っています。
身体の疲れはマラソンほどではないだろうけど(この考えも間違いかもしれません)、心の疲れは間違いなくマラソン以上でしょう。
そんなときに死ぬのではなく別の手段に逃げることを選択するのはとても賢明ではないでしょうか。
必死に生きようとしていると言うこともできると思います。

もちろんぼくは自傷行為が建設的な行動だとは思いません。
なので自分がそれを見たならば何とか止めようとするでしょう。
しかしこれを止めようとするのは私たちのエゴではないかとも思いました。

身体の傷は本人以外の人間にも簡単に見ることができます。
そして他人の身体に傷がつくのを見るのは、傷つく本人だけでなく見ている人間にとってもとても辛いことです。
それに引き換えて他人の心の傷はなかなか見ることができません。
少なくとも見ようと努力しなければ全く見ることはできません。
努力したところで、やっぱり全てを見ることは難しいでしょう。
自傷行為を無理に止めようとすることは、他人の身体に傷がつくのを自分が見たくない、ひいては止めようとしている人間が苦しい思いをしたくないというだけではないかと思いました。

自傷がよくないことだということは、それをする本人たちにもよく分かっているはずです。
ただ、あまりにも深すぎる心の傷をちょっとだけ身体に移すことで何とかバランスを保とうとしている・・・そんな気がします。
もし私たちが自傷行為を無理に止めようとして、それが成功したならば私たちはとても安心するでしょう。
しかし本人は逃げ道を絶たれてもっと苦しむのではないかと思いました。

自分自身に傷を付けるという行為は、心の負担を軽くすることにおいてはどんな薬よりも優れた効き目と即効性を持っているということも理解すべきところでしょう。
そういう点で、身体に傷を付けるという大きな代償があるにせよプラスの側面もあるのだというのがぼくの考えです。
ただしその人の心の傷を理解しようとしなければマイナスの部分しか見えないため、無理にでも止めようとするのが正しいことだと思う人もいることでしょう。

行為を否定することではなく、他の方法で逃げることができるのであればその道を一緒に探すというのが我々のやるべきことだというのがぼくの考えです。
心理的に退路をどんどん断たれている人たちに代わって、私たちが他の逃げ道を提案してみるのがいいのではないでしょうか。
その提案も、相手にとってできるかできないのかをちゃんと考え、押しつけにならないようにすることも必要だと思います。
例えば深呼吸してみるとか、ゲームや音楽など他のものに注意を逸らすように勧めてみるとか。
そこまで追い込まれた人たちにとってはこのようなことでさえも難しいことかもしれません。
自分ができたのだから相手もできると考えるのは間違いです。
抱えているものは人それぞれ違うのだから。

とにかく表面的な身体の傷だけを見るのではなく、心の傷を見ようと努力してみることが重要なのかもしれません。
そうすれば自傷行為に対する理解も少しだけ深まるのかもしれません。

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コメント

  1. やのじ より:

    cremona2003様、こんにちは
    もう、パーフェクトすぎて、何も言う事がなく、コメントに困ってしまいます(笑)
    このような考え方って、他のことにでも当てはまると思うのです。
    しかし、自分の体を傷付けることになると、急にみなさん目がつり上がって「やめろ、やめろ」と抑え付けようとされます。
    みんなが、cremona2003様のように考えてくださるなら、傷付き苦しむ人も減るでしょうね。

  2. cremona2003 より:

    やのじさん
    誰からもコメントをもらえなかったので、この記事に対してみんなからどう思われているのかちょっと不安でした。
    今回やのじさんにパーフェクトと言ってもらえて、自分にとってはかなりの自信になりました。
    どうもありがとうございます。
    でもここでは分かっている風なことを書いてしまいましたが、ぼくもそんなに強い人間ではないので実際に目の当たりにするとやっぱり止めようとしてしまうと思うのです。
    とにかく、できるだけ相手のことを分かってあげたいと思い続けることが一番大事なことなのでしょうね。

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